【第8回】村田一弘という男
(更新日:2014.10.14)
その後無事に卒業式を終え、いよいよ中学校生活がスタート。同じ小学校からその中学を受験した友達はいなかったが、
通っていた塾の友達で2人同じ学校に合格していたので、
しばらくは3人で学校へ通っていた。
最寄りの駅からさらにバスで2~30分走った山の上に校舎があり、
東京都でありながら自然が豊かな学校だった。
入学してすぐに、クラブ活動のオリエンテーションがあり、
私は何の迷いもなく小学校からやっていたバスケットボール部に入部届けを出した。
最初に仮入部期間があり、
活動内容を体験してから本入部という流れだったのだが、
この仮入部期間中、まだ敬語を使った事がない私のうっかりで、
先輩に思いっきりタメ口を使ってしまった事があった。
あの時の空気がざわついた感じは今でも覚えている。
あまりに自然にこっちが発してしまったせいか、
あっけにとられていた先輩の表情まで。
その後同級生に注意を受け、直接謝りに行ったおかげで事なきを得たが。
小学校時分、一つ上のクラスに姉がいたせいか、
その友達と喋る時にあまり敬語を使わなくても許されていた部分があり、
つい同じ感覚で喋ってしまったのだ。
あの時はびっくりさせてごめんね、渡辺先輩。
そして当時から思っていた事なのだが、
バスケ部や野球部等、スポーツ系の部活は大概上下関係がはっきりしていたのに対して、唯一サッカー部だけがとてもゆるかった印象がある。
そしてあくまで私の勝手なイメージだが同級生、
先輩問わずチャラいやつばかりいた気がするのだ。
そのくせに女子から人気があったので、
ただのひがみかもしれないが(おそらくそうなのだが)何か釈然としない気持ちがあったのを思い出した。
その後無事にバスケ部に入部し、床の清掃や球拾い、
声出しやランニングを繰り返し、3年の先輩が夏の大会で引退を迎える頃、
ようやくまともな練習が出来る様になった。
基礎練習に加えてパスやシュートのメニューが増え、
ハーフコートでの実践的な練習も組み込まれる様になった。
夏休み中であれば強化合宿もあり、他校との練習試合なんかも行われた。
とはいえやはりメインは2年の先輩達であり、
本当に面白くなるのは翌年の話なのだが。
そして私が初めてドラムと出会ったのはちょうどこの頃だった。
最初はおじさんの家に電子ドラムがあるという話から興味を持ち、
何度か教わりに通っていたが、
そんなに長く続かずに一度飽きているのだ。
バスケや友達と遊ぶ事に夢中だったようで、
最初からずっと継続してやり続けていた訳ではないという事なのだが、
後々この数回のレッスンが大きなきっかけとなったのは事実である。
入学式からバスケ部への入部で、
順調に友達も増え楽しい学校生活を送っていたが、
肝心の勉強はというと、やはり受験あけで元々才能のない私に良い成績が修められる訳も無くクラス平均辺りをうろうろする結果となっていた。
特に英語に関しては、小学校3年生で英会話教室に通っていた事が何一つ生かされないまま今に至っている。
確かに今思えば、英語が喋れたらどんなに世界が広がるかと思う事もあるが、この頃は勉強よりも断然遊びとバスケットだった。
次週へ続く~
☆ あとがき☆
ツアーのリハ中、みんなで博多ラーメンを食べに行った後、また夕飯にラーメンを食べてしまった俺って。。
いや、俺と文ちゃんとオミーって。。。。。まずいよねw
以後気をつけます!!
まもなくスタート!!全22本のriceロングツアースケジュールはrice.jpまで♪