YUCHI【第9回】
(更新日:2014.01.28)
こんにちは!YUCHIです!
御存知の方ももちろんいらっしゃると思いますが、この新星堂オンラインさんでのコラムでは、僕のバンド遍歴を勝手に(!?)綴らせて頂いています!
毎回長くなってしまって申し訳ないんですが、今回も書かせて頂きます!
今回は2008年のことについてです。
もう6年も前ですね。
2008年ー
前年から引きずったままだった、ボーカル怜の体調は年が明けてもいい方向には向かいませんでした。
前回の内容を読んでもらえるとわかると思うのですが、この時すでに怜は、曲作りやレコーディングはおろか、ライブさえも行うことが難しい状態に陥っていました。
前年の後半に行われた行事や仕事は、出来るところまでは僕と圭の2人でなんとかこなしてはいたものの、さすがにライブをボーカルの怜なしで決行するのは無理がありました。
すでにこのとき、僕らには3度目の全国ツアーが決定し、発表までしていましたが、状況が状況だったのでやむを得ず、キャンセルという形をとることにしました。
怜は病院で療養に徹し、必死に治療に専念していましたが、なかなか体調は快方に向かわず、バンドは活動をストップせざるを得ませんでした。
この時の様子に関しては、怜本人が綴って本にしたものがあります。
ご存知の方も多いかと思いますが、詳しくはそちらを参照して頂ければと思います。
バンドが停止した状態で、僕自身、複雑な心境とともに不安を抱えた日々を過ごしました。
バンドの中にいない自分…。
その虚無感の中で何をすればいいかもわからず、時間だけが過ぎて行く毎日でした。
そんな僕とは逆に、圭は必死でした。
こうやって書くと自分が恥ずかしいですが、kannivalismを守ろうと、この時は彼だけが必死になってくれていました。
厳しい音楽業界。
活動していなければすぐに忘れられてしまう世界…。
kannivalismを風化さないよう、圭はなんとかしようと動いていました。
僕をセッションライブに誘ってくれたりもしましたし、曲作りも彼はもくもくと続けていました。
色んな人にも自ら積極的に会っていたようです。
当時のkannivalismはエイベックスとの契約も満了しておらず、宙ぶらりんな状態を繋いでくれたのも圭でした。
圭はこの年、ソロ活動を開始するのですが、色んな思いをこめて取り組んでいたのには間違いはありません。
「ソロ活動」という響きからは、「自分のやりたいこと」という概念を持ちがちですが、彼が行った活動は確実にkannivalismの未来の為だったと思っています。
ですが彼の必死な思いと行動とは裏腹に、kannivalismのメンバー間はどんどんバラバラになっていってしまいました。
怜はしばらくして病院を退院し、僕達はメンバー同士で今後の話合いをするも、なかなか意見もまとまらず、バンドとしての具体的なビジョンも全く見えてきませんでした。
情けない話ですが当時の僕は僕で、圭の活動の意図も読み取れず、
kannivalismの未来の事も考えられず、何も出来ないままでした
。 正直なところ、この年に僕が残した音楽的なものや、バンドとして布石はありません。
自分勝手だったと思いますし、自分としてはこの年のことを後悔しています。
逃げてばかりいたからです。
もっとバンドの為に何かできたはず、
微力でもやれることはあったはず。
そして何より、待ってくれる人達がいることのありがたみ、重みを当時の僕はちゃんと理解できてはいませんでした。
いま、僕はその時のような後悔を二度としたくないという気持ちで日々を生きています。
音楽をやる以上、人の前に立つ以上、この時のような自分では失礼な人間だと思うからです。
思い返しても、それほど僕は駄目な人間になってしまっていましたし、悲しいことに、バンドから離れれば離れるほどに、メンバー全員、バンドの未来が見えなくなっていったと思います。
月日が経てば経つほどに、です…。
こういった状態のまま、バンドは年の暮れを迎えることになりました。
今回は特に重たいな内容になってしまいましたが、また次回も読んで頂けると嬉しいです!
YUCHIでした!