YUCHI【第8回】

YUCHI【第8回】

(更新日:2014.01.21)
こんにちは!

YUCHIです。

今回で8回目の更新ですね。
毎回読んで頂いている方はご存じの通り、今コラムでは僕のバンド遍歴を毎回1年分ずつ綴らせて頂いています!

1年間の出来事を毎回無理くりまとめてるので、長いです(笑)。
すいません(笑)!



さて、
今回は2007年ー


この年はkannivalismとしてはライブをメインに活動しました。

それと同時に、バンドとして過酷な状況になってしまった年でもありました。



作品後半からずっと続けていたレコーディングも、年が明けてもなおまだ終わってはいませんでした。

そんなレコーディング中に、2枚目のシングル「ホシの夜」がリリースされました。
アルバム用に録り貯めていた曲の中からのリリースでした。


アルバムのレコーディングの最後の方は、時間が本当になくてとにかく過酷だったのを覚えています。
ミックスの立ち会いなんか結局24時間ぐらいぶっ通しでやりました。


ただ苦労して作った分、完成の瞬間は本当に嬉しかったのは確かでした。
そして2月に無事、1stフルアルバム「Nu age.」がリリースされました。

70-2

バンドとして初のフルアルバム、それを作る大変さ、達成感、色んなものを経験しました。
「Nu age.」はメンバー間のテーマとして、どの曲を切り取ってもシングルに聴こえるようなアルバムを目指して作りました。
なのでいま聴くとかなりキャッチーで聴きやすい曲ばかりですね。



アルバムを引っ提げ、バンドは初の全国ツアーをスタートさせました。

まだ春手前の寒い時期だったのと、早速次のシングル制作に追われていた僕らにとって、少しばかり過酷なツアーだったのは確かですが、全国で待っていてくれている人達の前でライブが出来ることが嬉しかっし、単純に楽しいツアーでした。


5月には早くもシングル「small world」をリリースしました。

このシングル制作ぐらいから、バンドとして世界観的なものを意識するようになったと思います。

ちなみにこの曲のMVは先述したツアーの合間、真冬の長野県のとある廃墟で撮影したのですが、極寒、しかも夜中という状況に、心も体も折れそうでした(笑)。
うーん、でも思い出深いですね。


ツアーのファイナルとして、渋谷クラブクアトロ、O-EAST(現Tsutaya O-EAST)でもライブを行いました。
全国ツアーを経験したことによって、ライブバンドとしても着実に成長が感じられた瞬間でした。



その後は再びプリプロ、レコーディングに入りました。
前回の反省を活かし、早めの2ndアルバムの制作に入ったのですが(後に「helios.」というタイトルでリリース)、その時はそのアルバムが完成までにとても長い時間がかかるとは思っても見ませんでした。


そんなアルバム制作をしながらのイベントライブの出演も幾つか経験しました。

ただこれまでに殆んどがワンマンでのライブだった僕らにとって、対バン形式でのライブは正直うまくはゆかないことが多くでした。

自分達を目当てで観に来てくれるお客さんのみの単独ライブとは違い、僕らを知らないお客さんもいるイベントでのライブでは、限られた時間で自分達をアピールしなくてはいけません。
その点で僕らはまだまだ未熟なバンドだったんだと思います。
お客さんの反応が全てではありませんが、自分達の魅力を100%出すライブが出来たかと言うと、正直厳しかったと思います。




そうこうしている内に、夏には2度目の全国ツアーもスタートしました。

アルバム制作は比較的順調に進んでいたものの、僕らは秋にリリースする為のシングル制作が終わらないままツアーに出ることになったのです。
いま思うと、このことが後々バンドにダメージを与える出来事のひとつになってしまったように感じます。


ライブバンドとしては少しずつ成長を確められる手応えを感じながらも、このツアーの時には、動員がイマイチ奮わない場所でのライブもありました。 ライブに置いて動員だけが大事なポイントではないものの、まだまだ自分達の力不足を感じた瞬間でした。


ツアー中には後に「モノクローム」というタイトルでリリースされる事になるシングルの制作も平行して行っていました。

今でこそ、ライブやツアーを回りながら制作活動をするアーティストも増えてきたように思えますが、少なくとも当時の僕らには「制作」と「ライブ」というもののモードの切り替えが上手に出来ず、ストレスを溜めずに進められない状態でした。

結局、不器用だったんだと思います。
甘えのようにもとれますが、少なくとも当時の僕らに大変なことでした。


それでも楽曲はなんとかまとまって上がったのですが、残すところに歌詞がまだ出来上がっておらず、ボーカルの怜は一人でツアー先のホテルに缶詰めになりながら仕上げました。
彼自身、ライブをこなしながら創作活動でボロボロになりながら歌詞を書いていたと思います。



これまでの活動を通じて、彼の精神状態は正直、健康とは呼べない状態に陥っていました。

様々な要因がそうさせたのは間違いありません。

周りとの人間関係、フロントマンとしての風当たりの強さ、メンバー間での疎外感、バンドの活動状況、ツアー中での創作活動など、理由はひとつに絞りきれなかったと思います。
そのひとつひとつが「誰もが抱えていること」と、言っていまえばそれまでかもしれませんが、彼は既に疲れきっていました。

それでもポジティブに活動を続けていたのですが、ある日、彼にとって決定的な出来事が起こってしましました。


シングル「モノクローム」のMVの監督を担当した人間に、怜の歌詞、ルックス、歌まで徹底的にこけ下ろされたのです。


もちろんアーティストによっては、メンバー以外の人間が厳しくアドバイスする現場も少なくありません。
それがプラスに働く場合もあります。

しかし僕らはメンバー同士で何事も決め、判断し、自分達を守ってきました。


ただその時は、誰も怜の事を守ることが出来ませんでした。

僕も圭も、何を言われても強くある自分になるべきだと思っていたのは事実です。
それでもその時の怜には、それを受け止める体力は余ってはいませんでした。
彼の心は、疲弊しきってしまったのです。


秋前に行われた渋谷AXでのライブ以降、彼はバンド活動を続けるのが難しくなっていました。
メンバー同士話し合いもしましたが、もう遅すぎるところまで来ていました。


ただ怜にとってもバンド、歌は人生の全てでした。
そこで彼が選んだのは、バンド活動を続ける為に、病院で自分の状態を治すこと、という選択でした。


僕と圭と事務所はそれを受け入れました。
どれほどの時間がかかるかはわからない…。
それでも彼に戻ってきてほしかったからです。


全てではありませんが、年内の仕事で僕と圭だけでもこなせる仕事やレコーディングは二人でやってゆきました。

僕と圭にとってバックグラウンドとも言える大先輩バンド、LUNA SEAのトリビュートにもこの時期参加させて頂きました。
怜も「LOVE SONG」という曲を唄いました。

少しづつバンドとして経験値を積みながらも、やはり状況が変わることはありませんでした。


そうやって先の見えないまま、僕の2007年は終わりました。


今回は特に長くなっちゃいましたね(汗)。
すいません!



ではではまた次回!


YUCHIでした!