YUCHI【第7回】
(更新日:2014.01.14)
こんにちは!YUCHIです!
この連載も開始から早くも7回目になるんですね。
毎回読んでくている皆さま、ありがとうございます。
毎週月曜日が締切なのですが、お陰さまで日曜日は毎週ひやひやしております(笑)。
いやいや、ありがたいですね。
本題に入る前に、告知です。
去る2014年1月1日に、sukekiyoとしての初の映像音源「aftermath」がダウンロード配信にてリリースされました。
聴いて、観て、感じて頂けたらと思います。
(sukekiyo オフィシャルサイトでCHECK!)
さてさて、毎回このコラムでは僕のバンド遍歴を長々と(!?)綴らせて頂いています。
今回もその続きです。
宜しくどうぞ!
2006年-
この年はkannivalismとして躍進した一年だったと思います。
昨年にスタートしたkannivalismは無事に初ステージを終え、初音源となるミニアルバム「奏功humority」の製作に入りました。
僕らはまだ始動したばかりで持ち曲も少なく、レコーディングに入った段階でも曲作りが終わっていない状態でした。
毎日レコーディングスタジオに出入りして、締め切りギリギリで仕上げた記憶があります。
それでも初の自分達の作品が出来上がったと思うと、達成感はもちろん、大きな充実感,
喜びがありました。
いま聴くと、粗っぽかったり気になる部分は当然ありますが、バンドの持つ勢いや始まりのような空気を感じます。
当時にしか出せない自分達をパッケージできたかなと、そう思います。
僕の中で「バンドを組む」という選択肢自体が曖昧になってはいたものの、圭が話してくれたバンド感に強い希望を感じたのと、もともとバンドをやりたくて音楽の道を選んだ事を思い出し、彼とバンドを組むことにしました。
またバンドをやる…、その気持ちにさせた大きな要因のひとつに、MIYAVI君の後ろでライブをさせてもらっていたこともありました。
自分はあくまでサポートメンバー。
生き生きとステージでパフォーマンスをするMIYAVI君の背中を見て、自分のバンドでライブをすることへの欲求は少しずつ溜まっていたのかも知れません。
もちろんMIYAVI君だってただ楽しいからライブをやっているわけではありません。
むしろ大変なことの方が多いかも知れない。
でもそれでも自分のバンドとしてステージを踏むことを、僕は強く望むようになっていたんだと思います。
4月には無事に今ミニアルバムもリリースし、5月には初となるワンマンライブも決行しました。
そしてちょうどこの時期に、エイベックスからデビューするお話を頂きました。
活動の幅を広く願っていた僕達にとって、それは願ってもいない話でした。
もちろん音楽を生み出してゆく上でのスタンスや、何にも染まらないでいこうという精神性を、僕らは守る前提で活動をしていましたが、エイベックスからの音源リリースという機会をもらえることで、僕らの伝えたいメッセージや世界感を、より多くの人に知ってもらえるチャンスになると、僕はそう考えていました。
エイベックスのスタッフの方々とは共に意見を出し合いながらも、ぶつかることも時にはありました。
それはエイベックスという会社においてのスタンスと僕達との価値観のズレによる要因もありましたが、いま考えると僕達3人のワガママによる衝突もとても多く、迷惑をかけてしまった場面も少なくありませんでした。
ただそんな中でも、エイベックスのスタッフの方々にはとてもよくして頂きました。
ワガママで破天荒なところもある僕らを見捨てることなく、一緒に頑張っていってくれたと思っています。
そして僕らは秋に初のシングルとなる「リトリ」をリリースします。
メジャーレーベルを通すことで、掲載をしてもらえる雑誌の数も種類も増え、キャンペーンの数もそれまで以上の本数をこなしました。
ただ同時に、根本的には作品作りとライブを中心に活動をしていた自分達にとって、プロモーション活動と創作活動のスイッチの切り替えが思ったようにできず、実は苦しんだ時期でもありました。
いま思うとその両立がミュージシャンにとっていかに大切かを学ぶことが出来た時期だったようにも思えます。
きっとその時の僕達は今以上に不器用だったんだと思います。
10月と12月には東名阪でのショートツアー・ライブも行いました。
当時の僕らには、ライブとレコーディング、そして曲作りだけが心の支えだったような気がします。
同時に次の年にリリースする予定の、1stフルアルバムのレコーディングも本格的に進めていました。
ただ僕達の性格柄なのか、正直なところ、楽曲1曲を完成させるまでにとても時間がかかり、アルバム作りはとても難航しました。
その後ににリリースした作品作りにも言えたことなのですが、僕達は楽曲の生産ペースが遅く、1曲に対し何度もアレンジを繰り返し、細かい修正を重ねてしまうところがありました。
もちろん時間をかけて、苦しんで苦しんでやっと形になった曲には、その曲にしかない輝きや雰囲気がああります。
ただそれとは逆に、切羽詰まった状況で生まれた楽曲のみが持っている魅力も当然あります。
どちらがいいと言うわけではありませんが、結果的に僕達のレコーディングはギリギリのところまで詰めて詰めて、最終入稿の時はいつもバタバタでした。
しかしそれも妥協を許せないメンバーの精神性ならでは、とも言えるのですが…。
僕から見える、怜と圭にはそこを押し通す強さがあります。
それは完全に自分にはないものでした。
ミュージシャンシップとして、僕は彼らのそういった部分を今でも尊敬しています。
さて、そんな感じで僕の2006年の活動は終わりました。
また長くなっちゃいましたが、次回の読んで頂けると嬉しいです!
でわ~!
YUCHI