YUCHI【第6回】
(更新日:2014.01.07)
どうもこんにちは!ユチです!
そして明けましておめでとうございます!
2014年ですね。
毎回、僕のバンド遍歴を綴らせて頂いている本コラムですが、その前にお知らせです。
今年から、新たなバンドをスタートさせて頂くことになりました!
バンド名は「sukekiyo」で、メンバーは以下の通りです。
京(DIR EN GREY)
匠(ex.RENTRER EN SOI)
UTA(ex.9GOATS BLACK OUT)
YUCHI(kannivalism)
未架(ex.RENTRER EN SOI)
去る1月1日に動画配信をスタートしました!
宜しければ是非チェックしてみてください!
さてさて、では前回からの続きです。
2005年-
この年も激動でした!
というのも僕にとって再びバンドを始めることになった年になったからです。
前年に引き続き、僕はMIYAVI君のサポート・ベーシストに起用してもらいながら、別のアーティストのレコーディング等も行っていました。
この年もMIYAVI君は精力的に音源リリース、ライブ活動をしていたので、僕にとってMIYAVI君とのライブは本当に慣れ親しんだ現場でした。
前年に続き海外でのライブにも参戦させてもらいましたし、春と夏にと全国ツアーも回り、テレビ収録もあり。
本当に様々な経験をMIYAVI君には積ませてもらえました。
そんなサポート活動とは別に、僕が以前組んでいたバンド、k@mikaze(カミカゼ)の1日限りの復活ライブをしようと、そんな話が当時のメンバーとの間で上がりました。
僕はk@mikazeを脱退した身だったのですが、現実問題、そのあとのk@mikazeにはメンバーが見つからず、空中分解状態でした。
メンバーの中にはもう音楽の世界に身を置くことを辞める決意をした人間もいたので、だったらメンバー全員集まってもう1度だけライブをやろうと。 k@mikazeメンバーとは脱退後も親好があったので、すぐその話は決定しました。
ちょうど夏ごろです。
そしてそのライブの時に、なんとbaroqueの圭が観に来てくれました!
baroqueは解散して半年ほど経った時で、その時、僕達は約3年ぶりに顔を合わせることになりました。
その日のライブの打ち上げで、久々に圭とは話をしました。
彼は新たにバンドを結成する為にメンバー探しをしていて、その時、僕をバンドメンバーとして誘ってくれました。
僕の中で「バンドを組む」という選択肢自体が曖昧になってはいたものの、圭が話してくれたバンド感に強い希望を感じたのと、もともとバンドをやりたくて音楽の道を選んだ事を思い出し、彼とバンドを組むことにしました。
またバンドをやる…、その気持ちにさせた大きな要因のひとつに、MIYAVI君の後ろでライブをさせてもらっていたこともありました。
自分はあくまでサポートメンバー。
生き生きとステージでパフォーマンスをするMIYAVI君の背中を見て、自分のバンドでライブをすることへの欲求は少しずつ溜まっていたのかも知れません。
もちろんMIYAVI君だってただ楽しいからライブをやっているわけではありません。
むしろ大変なことの方が多いかも知れない。
でもそれでも自分のバンドとしてステージを踏むことを、僕は強く望むようになっていたんだと思います。
あとはやはり、圭とまたバンドを組むこと、
彼の作る曲、彼の弾くギターが僕はやっぱり好きだったし、単純に面白いことが起きそうだと、とにかくワクワクした気持ちが強くて、僕は彼とバンドを組むことにしました。
そこからは二人でメンバー探しの日々。
二人で色んなライブに足を運んで、方ぱっしから色んなアーティストに目を通しました。
色んな人とも話をしました。
スタジオで一緒に音を合わせた人もいました。
けれど結局、その時の僕らに共鳴するミュージシャンとは出会えませんでした。
そんな中、僕ら二人の頭の中にはもう一人の名前しか浮かんできませんでした。
baroqueのボーカリスト、怜です。
メンバーが見つからなかったから、怜、といった理由ではもちろんなく、結局メンバー探しをしていても僕と圭は、怜と比べながら人を見ていたんだろうなと、今は思います。
怜より優れているか、とか、怜が持っているいるものを持っているか、など、意識しないところで怜と比較しながらメンバー探しをしていたのでしょう。
けれど怜はとても優れたボーカリストでありアーティスト、彼を超えるミュージシャンなんてそうそういません。
圭に至っては特に十代の頃からずっと怜と一緒にバンドをやり続けてきています。
彼が作る曲や彼が弾くギターの上に乗る唄は、きっと怜が歌うことで一番輝くように出来ている気がします。
(結果、圭は今でも怜とバンドを続けていますし)
以前、圭も言っていました。
「沢山の音楽を聴いてきたけれど、怜の声より好きになった声は未だにない」と。
僕にとっても怜は尊敬すべき素晴らしいボーカリスト。
声や彼の描く詩の世界、ステージでのカリスマティックな立ち振る舞いなど、今でも彼を超えるボーカルは少ないと思っています。
きっと僕と圭が怜を避けてメンバー探しをしていたのは、baroqueと比べられるのを恐れていたのが大きかったんだろうと思います。
僕と圭は怜と会い、話し、すぐに意気投合しました。
これで僕らは十代の頃組んでいたkannivalism以来に、また一緒にバンドを組むことになったのです。
結局その後のバンド名も当時と同じkannivalismで活動することになるのですが、ちょっとこの辺の経緯が複雑なので(笑)、敢えて深い理由には触れずにおきます。
ただ僕らとしてはあくまで「再結成」といったノリではなく、怜と圭と裕地の3人が新たにバンドを組んだ、といった感覚でいした。
現heidi,で活躍する桐くんがそこにいないのもそれが理由です。
僕たちは新生kannivalismとして2005年の大晦日にシークレットライブを皮切りに活動をスタートさせました。
それでは続きは次回で☆
新年早々長くなっちゃいましたが(笑)、今年も一年、どうぞ宜しくお願いします!
YUCHI