YUCHI【第2回】
(更新日:2013.12.03)
どうも、YUCHIです。連載開始の第一回目から大分長くなっちゃいました(汗)。
今回から出来るだけ簡潔に…(できるかな)、綴ってゆきたいと思います。
よかったらお付き合いを!
さて、1年ずつ僕のバンド遍歴をこのコラムで書かせて頂いています。
早速その続きを。
2001年-
この年は本当に色んなことがありました。
なんせこの1年だけで僕は3つのバンドを渡り歩きました。
2000年に組んだバンド「シルエット」(やっぱ素晴らしくダサいバンド名だなー笑)には相変わらずメンバーが増えなかったり、ギタリストが突然抜けちゃったり、ライブ活動もなんだかグダグダしてて、高校を辞めてまでやっと組めたバンド生活もなんだか全然充実していませんでした。
そんなとき、バンドマンづてに知り合ったギタリストの圭から連絡がありました。
彼は当時周りに少なかった十代のバンドマンだけで新しくバンドを結成していました。
それが「kannivalism」でした。
バンド名はボーカルの怜と圭がその前に組んでいたバンドの楽曲のタイトルから引用。
ドラムはいまheidi.で活躍中の桐くん。
当初、僕はサポートベーシストとして誘いを受けていました。
初めて彼らとスタジオに入って音を合わせたのを、今でも覚えています。 確か東京の立川だったかな。
僕が出会ったことのない音楽を彼らは奏でていて、手探りで粗削りではあるものの、それは革新性とエネルギーに満ち溢れていました。
確実に僕の持っていない感性やアイデアを彼らは持っていたし、そんな彼らに着いてゆけば絶対に面白いものを見れそうな、そんな予感がしていました。
初ライブは2月か3月ごろ。
僕は空中分解状態だったシルエットを辞め、気付いたらkannivalismに正式加入していました。
当時は月に5~6本ほど、コンスタントにライブをやっていました。
超体当たりなライブで、エネルギッシュで、とにかくひたすら駆け抜けた時期だったと思います。
当時の勢いみたいなものはあの時しか出せなかっただろうな。
お陰でライブ中にはケガもしゅっちゅうしていました。
同時に、よく対バンさせて頂いていた先輩方からも多くのことを学びました。
Fatima、Despair's Ray、Eldorado、蜉蝣…。
新しいものを生み出そうっていうパワーがすごくて、とにかく刺激的な先輩が僕の周りには沢山いました。
ただそんなkannivalismも、長くは続けることができませんでした。
いま考えるとあまりに短い期間で燃え尽きてしまったのかもしれません。
でもそのお陰で、ライブを重ねる度に動員は伸び、6月には目黒鹿鳴館というライブハウスでワンマンライブを行うことができました。
この短期間でそこまでいけたことは僕にとって、とても大きな出来事でした。
kannivalism解散後、ボーカルの怜とギターの圭は「バロック」を結成、ドラムの桐くんは「ポロリ」というバンドを結成。
僕は当時の先輩と「k@mikaze(かみかぜ)」というバンドを結成しました。
kannivalismの元メンバーに密かにライバル心を燃やしながら(笑)、新しいバンドでもひたすらライブを重ねました。
その時期はその時期で駆け抜けていく姿勢は一緒だったな。
とにかくライブを重ねて、スタジオにも沢山入って音を合わせて、体当たりで何かを掴むような、ガチンコなライブがk@mikazeのスタイルでした。
kannivalismの時のようにはいきませんでしたが、地道に全力投球のライブを続けてゆくうちに、k@mikazeの動員も少しずつ増やしていくことができました。
そんな2001年には人生初となるレコーディングも経験。
確か5月か6月。
kannivalismの解散記念じゃないけど、せっかくだからCDを作ろうと、東京の東中野にあるスタジオで録音をしました。
いい音が何なのか、いい演奏がなんなのかさえもわからなかったけれど、自分の弾いたベースが、自分達だけの音楽がCDになると思うだけで、嬉しくて、いてもたってもいられなくって興奮が止まりませんでした。
自分達のCDが、全く知らない人達の手に届く、このすごさ、素晴らしさが伝わるかな。
これが当時作ったCDのジャケットです。
何気にこだわって作ったな~。
後にWING WORKSのRYO:SUKEくんもこの時のCDを聴いていてくれたことを知って、やっぱり嬉しかったし、そうやって音源を出すことの重みも改めて感じました。
2度目のレコーディングはk@mikazeの時。
今もあるライブハウス、高田馬場AREAのレコーディング・スペースにて、その時はCDじゃなくてデモテープ用の録音だったと思う。
今の子はわかんないかもしんないけど、昔はデモテープ扱いで、CDではなくて、カセットテープも売ってたりしてたんだ。
超アナログだよ。
僕も学生時代にはインディーズバンドのテープを買ったりしてたな。
CDのように便利じゃあなかったけど、なんだかとってもワクワクしてたのを覚えています。
そんな感じでレコーディングも挟みつつ、ライブ中心の活動で、2001年は走り抜けました。
この年の大晦日には高田馬場AREAの年越しライブにも参戦する。
その時に、今を輝くサムライ・ギタリスト、MIYAVIくんにも出会いました。
彼との出会いは僕の音楽人生でもとても大きなものとなりました。 その話はまた次回♪
今回も長くなってしまいましたが、お付きあい頂いてありがとうございました!
でわ~☆