YUCHI【第3回】

(更新日:2013.12.10)
どうも、連載3回目。
YUCHIです。

前回までの通り、僕のバンド遍歴を綴らせて頂きたいと思います!
毎回長々としてますが、宜しくどうぞ!




2002年-

この年も自分にとってとても濃い1年でした。



バンド、k@mikazeのメンバーとして、高田馬場エリアでの2001年の大晦日の年越しライブを終え、そのままエリアで他の出演バンド達と打ち上げに参加しました。


その時、今は世界を駆け回るサムライ・ギタリスト、MIYAVI君との出会いもありました。

当時、僕は18歳。
彼は確か20歳で、学年的には2つ上の先輩バンドマン。

彼は当時、Due'le quartzというバンドをやっていて、低迷するVロックシーンにおいても、群を抜いた人気と支持をほこっていました。

「俺よりも年下がもうこうやってバンドやってるんやなー。」

彼がそう言っていたのを今でも覚えています。
彼も17歳頃からバンドを始めていたため、そう思ったのだと思います。



後日、彼のライブを観に行かせてもらったのですが、圧巻のステージパフォーマンスと唯一無二の存在感で僕は度肝を抜かれました。
彼のステージでの命懸けで勇ましいスタンスには同じミュージシャンとして、人間として物凄く影響をうけました。



そんな僕はというと、その年はk@mikazeとしてライブ三昧でした。

2月には先輩バンドからの誘いで初めてのツアーにも参加しました。

当時はインターネットも今ほどの普及率ではなかったので、地方では僕らを知らないお客さんばかりでした。
四国なんかじゃあ僕ら目当てに来てくれたお客さんが一桁だったこともありました。

そんな中、僕らはただひたすら体当たりのライブを続けました。
それしかライブをする方法を知らなかったし、自分達を表現する方法がそれ以外なかったからです。

それでもライブを重ねる度に何かを掴んでいけているような感触がありました。




当時はメンバー全員、とにかくお金がなかったので、真冬の中、狭い機材車で車中泊をしたり、安い旅館を値切ってまわったり(笑)、ひとり部屋のホテルにこっそり全員泊まったり(こらこらこら汗)。

そんな道中でしたが、なんだかそんな苦労も苦労のように感じなかったし、とにかく楽しかったのを覚えています。
まあもし今、同じようなことしてって言われたらやれる自信はないけど(笑)。

でも、あれはあれで大切な体験だったと思います。




東京に戻ってからも、ライブ活動は変わらず続けていました。

春には高田馬場エリアで初ワンマンもやっと出来たし、k@mikazeとして初のCDもリリースしたりと、バタバタと動き続けていました。

もちろん僕らだけではなく、周りのバンドもみんな必死でした。

Fatima、Shulla、イロハ、MERRY、Vanilla、餞ハナむケ。、Kra、ナイトメア、ポロリ、D'espairsRay…。

今なお続けているバンドこそ少ないものの、みんなとにかくエネルギーに満ちていました。



k@mikazeは引き続き、Vロック(当時はそういう呼び方はなかったけれど)のシーンの中で活動を続けていましたが、僕はなんだかそんなシーンと自分との間に少しずつ違和感を感じ始めていました…。


もともとはこのシーンを作った大先輩達の影響を大いに受けて、僕はこの世界に飛び込みました。

ただ実際にバンドを始めてゆく内に、海外も含めた様々な音楽に触れいくようになり、僕はその時よりもっと広い世界を見てみたいと思うようになりました。


当時のVロックのシーンは、新しい価値感を生み出そうとするエネルギーを持ったバンドもそれなりにいましたが、まだまだ凝り固まった価値感とルールのようなものが沢山ありました。

僕もまだ十代だったせいか(苦笑)、そんな世界には飽き飽きしてしまったのと、なんの為にこのシーンにいるのか、何故敢えてルールだらけの場所で自分を縛り付けているのか、次第に疑問を抱いてゆくようになっていきました。


その後のk@mikazeでも、Vロックの括りにこだわらない活動を試みてはみましたが、正直、なかなかうまくはゆきませんでした。

そんな中でk@mikazeというバンドで今後やっていくことに、僕は限界を感じてしまいました。
ライブをやればそこそこのお客さんが観に来てくれるようにはなっていましたが、それ以上のステップアップの想像が出来なくなってしまったのです。


僕は、k@mikazeを脱退、という選択をしました。

バンドのメンバーや、応援してくれたお客さんには本当に申し訳ない気持ちでしたが、僕はもっと広い世界が見たくて、妥協して活動していくことがどうしても出来なかったのです。

その年の11月、高田馬場エリアでのライブを機に、僕はk@mikazeを脱退しました。
そして新しくバンドを結成するためにメンバー探しを始めました。


そんな僕の2002年でした。


k@mikazeのメンバーには今でもとても感謝しています。

こんな僕とバンドを組んでくれて、沢山の我が儘に付き合ってくれて、今でも友達として仲良くしてくれていて、感謝してもしきれないぐらいです。


さて、今回も大分長くなってしまいましたが、また次回!


読んで頂いてありがとうございます!


YUCHIでした!