【第10回】村田一弘という男
(更新日:2014.10.28)
とはいえまだまだ最初の大会が終わったばかり。当然悔しさはあったが、これからまだ一年も続いていくし、
あの身長差では仕方がないと誰もが思っていた。
ところが、、、
この結果を重く受け止めた顧問の先生が、高校バスケ部との合同練習を決めてきてしまったのだ。
せっかく先輩がいなくなり、楽しいバスケット生活が始まった矢先、
もっと上の先輩達と練習をするはめになってしまい、
さらには高校バスケ部専属の鬼コーチまでついてきてしまったのだ。
今思えば、私達にそれだけの期待をしてくれていたという事で、
仮に次も同じ学校と対戦する事になった場合、
現状のままでは越えられない大きな壁があることは確かだった。
しかし当時の私達にはその思いまで理解する事が出来ず、
ただただなんて事になってしまったのだという絶望感にも似た感情が優先されてしまっていた。
これにより日々の楽しかった練習は地獄へと変わり、
結果部員は半数程に減少。
私含めレギュラーですらさぼる口実を探す日々が続いていた。
本気で全国を目指すチームであれば、
当然の練習量と厳しさであったと思うが、
少なくとも当時の私にはそこまでの気持ちが無く、
どこかで勝ち負けよりも楽しさを優先して考えてしまっていたのだろう。
甘かったと言われればその通りだが、そこはまだごく普通の中学生。
プロフィール欄の趣味に該当するぐらいの感情だったようだ。
それからしばらくしてやってきた次の大会、
私達は市での優勝を逃してしまった。
他校が以前よりも力をつけている中で、チームとして半ば崩壊しかけていた私達にとっては、当然の結果だったのかもしれない。
顧問の先生もこれを受け高校バスケ部との合同練習を廃止し、
私達のクラブにはまた平穏が訪れる事となった。
しかし、以前勝ったチームに敗れるというのは、やはり釈然としないもので、立教中学に負けた時とは明らかに悔しさの度合いが違っていた。
こうなると勝ちたいという思いが強くなり、
高校バスケ部との合同練習で得た厳しいメニューの一部をそのまま残し、
普段の練習にもより一層の熱が入る事となった。
同じ一敗でも与える影響にここまでの開きがあるのだ。
そしてこの敗戦がきっかけで私に予期せぬ影響を与えたことがもう一つあった。チームのキャプテンがいきなり坊主頭にしてきたのだ。
彼自身キャプテンとして反省しなければいけない部分と、
自身への気合い入れの為頭を丸めてきたのだが、
これに影響された副キャプテン2人も後日坊主となり、
それがさらに飛び火してレギュラーメンバーは全員坊主だろうという流れになったのだ。
熱のあるバスケ部員であれば、すぐさまその流れに乗っかるところであり、その方が青春時代を彩るドラマとしても明らかに美しかった。
当然もう一人のレギュラーは坊主になり、残りは私だけとなった。
小さい頃からずっと坊主頭であった私からすれば、頭を丸める事ぐらい何の抵抗もない話である。。。。。。はずだった。。。。。
スポーツと真剣に向き合い、仲間と共に成長した純粋な少年を出来れば描きたかったのだが、この時私の判断を鈍らせていた感情はただ一つ、「モテたい」だった。
思春期において、おそらく何よりも優先される感情だろう。
当時の私からすると、「坊主頭」と「モテたい感情」は明らかに対極に位置しているもので、決して交わる事のないものであった。
坊主にしてはモテなくなってしまうと、素直にそう思っていたのだ。
よってこの丸刈り旋風が私を襲った時、答えを見つけるのが非常に難しく、
その結果最後まで取り残される事となってしまったのだ。
周りからどうするんだと急かされる中、ようやく私が導きだした答えは、前髪だけ微妙に残した「スポーツ刈り」というスタイル(モテたい気持ちを前髪に宿したスタイルとも言える)。
なんとも中途半端な答えではあるが、
これもまた私の青春の1ページに刻まれている懐かしい思い出である。
次週へ続く~
☆あとがき☆
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