【第11回】村田一弘という男

(更新日:2015.07.06)

そうしてバスケット部の活動を中心に送っていた学園生活だったが、この頃から友人の影響で洋楽を聴く様になった。

それまではいわゆるJ-POPと呼ばれるジャンルの中でも歌番組のチャートを賑わしていた曲を中心に聴いていたのだが、洋楽の中でもポップス好きな友人からはスティービーワンダーやマイケルジャクソンを、ロック好きな友人からはDef LeppardやSKID ROWなんかを勧められて聴いていた。当時は歌詞の意味など気にもせず、単純に自分にとってカッコイイと思えるものを聴いていただけなのだが、興味を持ち始めると次第に自分でも調べる様になり、それまでほとんど聴いた事のないラジオの洋楽番組を聴いてみたり、オムニバスアルバムを買ってみてその中で好きな雰囲気の曲があれば、そのアーティストのアルバムを買う、といった様な事をしていた。

CDウォークマンを鞄に忍ばせ、主に学校への行き帰りで聴いていたのだが、最寄りの駅まで自転車を利用していた為、段差を走るたびに音飛びしていたのが懐かしい思い出である。

そんな音楽への興味からか、再びドラムへの熱が入り始めたのもこの頃だった。

おじさんの家に行くのはやはり時間が限られていたので、当時愛読していた週間ジャンプを積み重ね、超簡易版のドラムセットを部屋に作り、家でも練習出来る様にした。さらにドラムの教則本を買ってそれを見ながら叩いたり、時には聴いていた洋楽のCDに合わせて決して正確では無いが、ジャンプがぼろぼろになるまで夢中で叩いていた。

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そんな初めて買った教則本がこちら。未だに捨てられず取ってあるのだが、今見返してみても重要なポイントがしっかり記されていて、とても良い出会いだったと思う。本屋さんで訳もわからず悩んだ甲斐があったという事だ。

中学3年の夏の大会が終わると、体育系の部活をしていた連中が一気に暇を持て余す様になり、そこから生まれた新たな流行りがバンドだった。文化祭でバンドコンテストがあったという事も大きな理由だったと思うが、アコギを練習しはじめるやつがいたり、実はピアノをずっと習っていたと告白するやつがいたり、バンドのみならず音楽という括りで大きな波が押し寄せていたように思う。

そんな中、誰よりも早くバンドを組み、しかもそのバンドでドラムを叩いていたのが、後にRaphaelで共に活動するYUKITOだった。

学校での彼は目立ちたがりで、クラスの人気者。流行りに対しては敏感だったので、当然の動き出しだったのかもしれないが、聞くところによると最初に始めたのはギターらしく、元々音楽が好きだったようだ。それまでYUKITOとは部活も違い特別親しい関係では無かったが、この音楽ブームのおかげで徐々に距離が縮まっていった。学校帰りに皆でスタジオに寄る事が増え、まともに読めるやつもいないバンドスコアを片手にあぁでもないこうでもないと言いながら適当に音を出してみたり、とにかく部活に変わる新たな楽しみが見つかったという感覚であった。逆にいうとその程度の感覚でしかなかったので、この時は後に音楽が仕事になるとは想像すらしていなかった。

そんな中、私に朗報が舞い込んで来た。毎晩の様に部屋でバチバチ雑誌を叩いている私の様子が親を通じておじさんの耳に入ったようで、自分のドラムセットを私にゆずってくれると言ってくれたのだ。この話を聞いたときは本当に嬉しく、大声をあげて喜んだのを覚えている。これにより、私のドラム熱がさらに加速していったのは言うまでもない事実である。

〜次週へ続く〜

☆ あとがき☆
久々の再開嬉しく思います。あと2週ですが、最後までよろしくお願いします♪

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