【第5回】村田一弘という男

(更新日:2014.09.24)
小学校も5~6年になると、サンタさんの正体もはっきりし、
自我も徐々に強くなってくるので、泣き虫だった私もいっちょまえに反抗期を迎えた時期があった。

男の子の場合、やはり腕力がついてくる事によって幼少期とは違った感覚になるように思う。
実際のところ父に対してはまだ怖い存在だったのでそうでもなかったが、 母には結構ひどい言葉をかけてしまった事もあった。

具体的なセリフまでは割愛するが、
今まで散々甘えてきた息子の口からひどい言葉をかけられるとは、親も大変な苦労があったに違いない。
今でこそ、そう思う事が出来るが、当時はそんな事など構いもせず自分の思うがままを全て口に出していたように思う。
怒られる事は常日頃からあったが、それまでは泣いて済んでいた部分が少しずつ怒りや苛立ちへと変化していった時期とも言える。

しかしどんな時でも怯まず真正面から受け止めてくれた母のおかげで今の私がある。
きっと誰しもが非行にはしる可能性を秘めていると思うが、我が子に脅えてしまうような親ではきっと駄目だったのだと思う。
我が親ながらこれには本当に感謝している。

ここまで書いていて気づいたが、母親とのエピソードばかりなのが少々気になり始めた。笑
父親に対して嫌いだとか、そういった類いの負のイメージは一切ないが、
実際のところ仕事人間で、あまり一緒に遊んだ記憶もなく、
何より子育てに関しては母に任せっきりだったので、なかなか登場の機会がないのは仕方ない事か。

後々家業である電気屋の手伝いをバイト代わりにするようになるので、
その辺りではきっと登場する事になるであろう。
ちょうど小学校の高学年頃からちょっとした手伝いはさせられていたが、
この頃に一度だけ実家の屋根の上にはしごで登った事があった。
完全に余談だが、この時に私の高所恐怖症が発覚した可能性が高い。。。

学校生活に話を戻すと、この頃から似たような感覚を持つメンバーと一緒にいる事が多くなってきた。
自然と馬が合ったのだろう。
男女あわせて5~6人ぐらいのグループで行動していた。

それまではクラス内でも村田とか村田君と呼ばれる事が多かったが、
そのグループでは「カズ」というあだ名で呼ばれていた。
ちょうどJリーグが発足したての頃で、
キングカズの影響を少なからず受けていたとは思うが。
実家でも小さい頃から呼び名はカズ。
しかし友達からそう呼ばれると新鮮で、
若干の気恥ずかしさこそ最初はあったもののやはり嬉しかったのを覚えている。
そして同じグループに女子がいると、幼いながらに愛だ恋だの話にもなってくるのだ。
「A君は絶対Bさんの事が好きだと思う!でもBさんは隣の組のC君が好きだよね!」といった具合に。

そうなってくると男同士でも誰がかわいい、誰が好きだの話になり、実際私にも好きな子がいた。
特に大きな発展はなかったが、バレンタインの日は無駄にドキドキしていたのを覚えている。
明らかな義理チョコでも充分嬉しかったものだ。。。

そんな中、友人の一人が本命チョコを渡されているにも関わらず、
ただ一言「いらねぇ」と言い放った現場を目撃した時は衝撃がはしった。

私としては好き嫌いに関わらず、全て受け取るのが礼儀というか、断るという概念が無かったので、
すぐさま駆け寄りなぜそんな事を言ったのか聞いてみると「だっていらなかったんだもん」と返ってきたのだ。
「いやいやいや!」である。
受け取ってしまうと一ヶ月後にお返しをしなければいけないとか、
中途半端な優しさは逆にその子を傷つけてしまう事になるだとか、
小学生がそこまで考えてはいないだろうが、
そういうパターンもあるのだと、一つ勉強になったのは確かだ。

とはいえ私がそのセリフを吐いた事はその後も一度も無いが。
総じて異性に対しての特別な感情を抱く様になったのはこの頃であった。

次週へ続く-


☆あとがき☆
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今回は移動中もメンバーとワイワイ楽しめるバスツアーを敢行!
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