【第2回】村田一弘という男

(更新日:2014.09.02)
そんな甘ったれ小僧であった私も、3歳になると幼稚園に通う様になる。

最初はかなり愚図って行きたがらなかったそうだが、
それは朝家を出る直前にのみ起こる事であり、
いざ幼稚園に着いてしまえば愚図っていた事など忘れてしまい、
すぐ友達と遊び始めていたそう。

なので母は私が愚図り始めると「先生に幼稚園休みますって言いにいこう」と言ってよく私を連れ出していたようである。
当然ながら大人の方が何枚も上手であり、
父と結婚する前まで幼稚園の先生をしていた母であれば、
なおさらそうであったのだろうが、
この件に関しては今でも上手いなと思う。
自分の単純ぶりに笑ってしまうところでもあるが。

そんな幼稚園での生活ぶりといえば、
晴れの日は外で良く遊び、
雨が降ると部屋でひたすら色々な国の国旗をノートに色鉛筆で書き写していた記憶がある。
色合いが鮮やかであったり、形が様々であったのが気になったのだろう。

今の私の絵心のなさを思うと、
この頃の好奇心がもう少し続いていればと悔やまれるが、
興味のある事に対して夢中になるというのは、
どうやらこの頃から始まっていたようである。

そしてこの頃良く一緒に遊んでいたタロウ、テツオ、ケイコちゃんの中で、
私はガキ大将的なポジションにおり、
タロウとテツオが子分でケイコちゃんがお姫様的な存在。
どういった経緯でそのような序列を生み出したのか正直全く思い出せないが、多少やんちゃなところもあったようで、
2人を泣かせては、自分も先生に怒られて泣く、
という生活スタイルが定着していた。(タロウ、テツオ、ごめんね。)

そして非常にベタではあるが、良く怒られ、
良く褒めてもらった先生に幼いながらも恋心のようなものを抱いていた記憶もある。

比較的元気に遊び回る子供であったが故に、怪我をする事もしばしば。
今でも傷跡が残っているのは、おでこをガラスで切ってしまった時のもの、
同じくガラスに後頭部をぶつけた時にできたもの、
飼い犬にガブッといかれた際の唇の傷。
骨折のような重傷となる大きな怪我はなかったが、
一度だけ車にひかれた事があった。
確か2、3歳だったと思うが、
住んでいた家と道路を挟んで向かいにあった友達の家から帰る際、
友達のお母さんを間に挟んで姉と私がそれぞれ手を繋いで信号待ちをしていた時、
何を思ったか私は独自の判断とタイミングで繋いでいた手を払い、
道路に飛び出してしまったのだ。

2~3mほど宙を舞ったらしいが、
幸いにもかすり傷程度で済んだのは本当に良かった。
いま車を運転する側に立って考えると全く恐ろしい話である。
父親から説教を受けていた若い運転手さんには本当に申し訳なかったと思う。
いま私と同じ様に車を運転する事が多い方は、
こんなとんでもない子供がいたということを頭の片隅にでも入れておいたほうが良いかもしれない。

上述の様に大きな怪我は無かったものの、
脱腸で2回入院した事があった。
甘ったれ小僧としては、辛いとか大変だったという記憶よりも、
母親と一日ずっと一緒にいられた事や、
日常と違う雰囲気が楽しかったという記憶の方が勝っていたように思う。
周りが心配してくれて普段より優しくなった事が単純に嬉しかったのかもしれない。
この入院中に母親がよく剥いてくれたリンゴが格別に美味しかった事もよく覚えている。



次週へ続くー

「あとがき」
先日夏のツアーが大盛況にて幕を閉じました。
今回はどこの会場も大盛り上がりで、rice史上最高のツアーになりました。

応援してくれたみんな、本当にありがとう&お疲れ様でした!!
既に発表されている秋~冬のツアーもよろしくどうぞ!!