【第1回】村田一弘という男

(更新日:2014.08.26)
ども☆皆さんこんにちは。
riceという、ちょいとふざけ気味な名前のバンドでドラムを叩いております、ヒロと申します。

前回まで掲載していた攸紀君からのバトンを受け、本日からしばらくの間こちらでコラムを書かせていただく事になりました。
彼とはriceのサポートベーシストとしても良く一緒にプレイしている高井淳くんのイベントで知り合ったのが最初で、その後一緒にご飯やバスケをしたり、今年に入ってからのriceのLIVEも見に来てくれて僕のプレイを褒めてくれました♪
また褒めてもらえる様に引き続き頑張りたいと思います!!

そんな訳で、今日からここでも頑張っていきたいと思っているのですが、普段からあまりブログやツイッターを更新しない自分が、コラムなんてはじめて大丈夫?とお思いの皆さん、お察しの通り、僕はとても不安です(笑)

なので、ここで何を書こうか悩んだ結果、こんな自分でも産まれてから今までの自分の事ならさすがに綴っていけるのではないかという結論に達しました。
つまり「村田一弘」という男がどのような人生を歩んできたのかという、自伝的な内容にしていこうではないかと思ったのです。

この選択が良かったのか悪かったのか、結果はこの連載が終わる頃にはっきりとしているのでしょうね。果たしてどうなる?!どうする?!

では早速第一回目、スタートです♪


タイトル:『村田一弘という男』

1981年11月17日、母親の実家である栃木県の病院で一つの命が誕生した。体重は3300g、おぎゃーおぎゃーと勢い良く泣いて産まれたのはそう、後にドラムという楽器で生計を立てる事になる私である。
村田家に誕生した最初の男という事で漢字の「一」を、そして父「光弘」より「弘」の字を受け継ぎ、「一弘」という名がついた。ファーストヒロといった具合だ。

母乳やミルクを良く飲み、すくすくと育っていった私は1歳を前にして歩ける様になっていたようで、男の子らしく活発に動き回り、細かい傷が常にいくつもあるような子供だったそう。
そんな私には一つ上に姉がいるのだが、小さい頃のはっきりとした上下関係を写し出している一枚の写真がある。それがこちら。



姉よ、俺がパーマンを被りたかった。。
この頃の1歳差というのは男女に関係なくやはり大きな差であり、どうにも超える事の出来ない高い壁がそこには存在している。
パーマンのヘルメットが家に一つしかなければ、やはり力関係によって全てが決まってしまうのは必然と言わざるを得ない。

そしてこの頃の男の子というのは、得てして泣き虫で、親に助けてもらわなければ、まるで世界が終わってしまうかのような絶望感にすぐ追い込まれてしまう程、弱い生き物である。
私も決して例外ではなく、なかなかの甘ったれ小僧であったと記憶している。


                                
次回へ続く、、、