YUCHI【第11回】

(更新日:2014.02.12)
こんにちは!
YUCHIです!



今回で11回目の更新になります。
次の次の回で最終回ですね。

毎週この更新に終われてはいたものの、何だか生活の一部になってきていたような感覚があります。

でも、やっぱり自分にはブログだけで手一杯だったのもちょっとわかりました(笑)。



さてさて、僕のバンド遍歴を書かせて頂いている今コラム。
今回は2010年ことについて書かせて頂きます!


2010年ー

良い時もそうでない時も、とにかく入り交じった、濃い一年でした。
そして何より大変な一年だったな…。



僕達kannivalismは、新メンバーにドラマー光也を迎え、前年末に復活ライブを無事に終了させました。

そしてこの年は、前年から続くアルバム作りの佳境に入っていた時で、バンド史上最もバタバタしていた時だったと思います。


この時、僕らは2ndアルバムとなる「helios」の制作を行っていたのですが、自分達にとってこのアルバムはかなりの大作であり、同時に、簡単には完成させられない「強敵」でもありました。
今までも労せずに作った作品はありませんが、このときばかりはレベルが違ったと思います。

しかしそのお陰で、メンバーの感覚はこのアルバム制作中、特に研ぎ澄まされていたと思いますし、バンドの結束も強くなっていったとも思います。

ただ、後から加入した光也だけは、なかなかそこに付いてゆけない状態に陥っていました。


僕も怜も活動再開当時はまだ本調子ではない部分というか、いわゆるブランク的なところがまだあったと思います。
音楽を休まず続けていた圭に比べて、まだまだ感覚が鈍いところがあったというか。


ただ製作を続けていくにあたって、徐々にその感覚を取り戻していったと思います。
と、いうか圭に追いつこうと僕も怜も必死だったんだと思います。


光也に関しては正直なところ、経験不足な面と、僕ら3人に比べて音楽的な基礎体力が養われていなかった部分が、レコーディングを進めてゆくうちに浮き彫りになっていってしまったように思えます。

アルバム制作前の、なんとなくゆったりとしたスケジュールの中でスタジオに入っている期間はよかったものの、締め切りに追われ、そしてジャッジの厳しいkannivalismの製作の現場が進むにつれて、光也は実力的に次第に遅れをとるようになっていってしまいました。

今でも思うのですが、光也のセンスや空気感、バンド内でのキャラクターには、なんの問題もなかったと思います。

ただ彼には周りに追いつこうとするガッツや瞬発力が足りず、時間が経てば経つほど、そののんびりとした生活ペースや、仕事面での切り替えの鈍さが、仕事の現場やバンド内で目立つようになっていってしまいました。

作っている曲のドラムのアレンジが滞ったり、スタジオに大幅に遅刻してきたり、ドラムのレコーディングに途方もない時間がかかったり…。 彼は製作面での活動において、バンドに大きく負担をかけることが当たり前になってきてしまったのです。
彼なりに頑張っていたとは思いますが、どうしても彼のマイペースな性格が災いして、仕事面での大きな成長が見られることはありませんでした。

光也はバンド復活に大きな貢献を果たしましたし、最初のうちはメンバーでも彼のことをバックアップしてゆきましたが、kannivalismとして求められるレベルまではついてゆくことができませんでした 。

そして彼は、バンド内で次第に孤立してゆくことになります。


いま考えると、僕たち3人のドラマーに求めるものをかなり大きなものでした。
ただそれでも必死に食らいついてくる光也を僕達は望んでいたんだと思います。

しかし、光也は自分の中のペースを変えることが出来ませんでした。


時が経つにつれ、メンバーからの彼に対するあたりも強くなり、光也にとってkannivalismはただつらいだけの場所になっていってしまったと思います。

この時のことに関して、メンバーとして僕自身ももう少し彼の事を優しくみてあげればよかったなと思う部分もありますが、僕は僕でkannivalismのメンバーでいることだけで精一杯でした。

人のことを考えてやれる余裕があるほど、このバンドは甘くはなかったのです。