【第5回】「倉田清十郎という男:其の一」
(更新日:2012.11.28)
WING WORKS初リリース、「STAR GAZER MEMORY」の製作ももはや佳境。アレンジの細かい部分だったり、何より歌録りという自分にとって全く未知の新しい領域に踏み込んでいます。
歌って、本当に奥深い。音楽作りの意味が100倍くらいに跳ね上がる大切な要素だなあって頭では理解していたけど、実際に経験として実感しています。
ちょっと前に仮歌を録っていて、頭の中のイメージと実際に自分から発される声が曲に与える影響のギャップがどうしてもいたたまれなくて、思わず「I HATE MY VOICE」とだけツイッターにつぶやいて、みんなに心配をかけてしまったことがありました。
これまでバンドをやっていて、本当に自分がリスペクトしていて心底好きだと思える歌声の持ち主のボーカリストと一緒にいつも物作りをしていただけに、相変わらず俺は自分の声なんぞこれっぽっちもいいと思えない。語弊があるかもしれないけど、こんなもんちっとも愛せない。
でも不思議なことに、そんな自分の嫌いな部分としっかり向き合ってそれを克服したい、これを形に残したいという気持ちが同時に湧き上がってきて、今やってること、作ってるものにはでっかい意味があるなって思う。
自分が予想できて、コントロールできて、満足できる範疇と手札だけの表現なんて絶対につまらない。
良い歌を歌って、素敵な音を紡いで、これまでもそうであったように、悔いなく誇りに思えるような作品にしたい。
さーがんばろう。
ってな訳で、そんなボーカリストとしてのキャリアにも大きく影響してる10月の舞台の話。
前回までは「倉田清十郎」という、闇を抱えた男が俺に与えられた役だというところまででした。
倉田清十郎を演じる上で脚本演出からもっとも強く求められたことは、「倉田を決してただの悪者にしてはならない。」ということ。
物語の舞台である「大部屋」と呼ばれる楽屋に集まる、まだ名もない役者たちへの横柄な態度も、「自分はスターだ」という重圧から自分を守るための虚栄であり鎧であること。
手を出す女性たちに対しても、それはただ性にだらしないからという理由ではなく、周りは敵だらけの芸能界という世界での耐え難い孤独や不安の中で冒されてしまった心の病によるもので、自分自身ではどうしようもないものであること。
そして、その心の病はセックス依存症。
一人の成功の階段を登り始めた若者が、身に余る自分の置かれた状況の中で、輝きの中だからこそのしかかってくる苦しみや弱さを観客に伝えたいと。
物語の中で、そんな彼が向かえる転落と破滅、そこに至るまでの彼自身の決断までのプロセスを通じて、ある種の人間の悲しさを伝えたいということ。
とても重要な役柄でした。
今回の舞台「魔がさす」は、たくさんの登場人物の内面や人間模様が描かれるいわゆる「群像劇」であって、決して倉田は主人公ではない。
彼がどんなプロフィールを持った人物であるかを十分に場面の中で描くわけではありませんでした。
つまり、舞台上では描かれることのない部分を芝居の中で観客に「感じ取って」もらわなければ、倉田がどういった人物で、その存在を通じて何を伝えるのか示すことは難しいな、と稽古を重ねていく中で俺は徐々に気付きはじめました。
表面上の高飛車な態度の中でふと見せる表情であったり、仕草であったり、声のトーンであったり。
そんな部分を通じて「この男は本当は弱いヤツなのかもしれないな。」「この男偉そうにしてるけど実はメチャクチャ無理してるのか?」ということを観客に感じ取ってもらっていれば、物語終盤の大きな転機の中で「ああ、そういうことだったのか。」とパズルのピースが噛み合うはず。
もっと言えば、倉田以外の登場人物にもそれぞれ舞台上では描かれないおのおのの事情や過去や物語の舞台に存在する意味があって、最後の最後にそれらが一見バラバラなまま、だけど実はなるべくしてなった形で集約されて、そしてそのひとつになったすべてがガラガラと崩壊してしまう。
「魔がさす」とはそういう物語であり、倉田清十郎とはそういう男でした。
では、いかにして俺はそんな「倉田清十郎」として物語に関わっていくのか。
盛り上がってきたところですが、それはまた来週!!
「STAR GAZER MEMORY」、絶対買ってねー!!